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キングダム | 呂不韋(りょ ふい)商人から国のNo.2までのし上がった男

秦の相国 呂不韋(りょ ふい)とは?

呂不韋は史実でも大きな存在感を持つ文官です。奇貨居くべしという故事成語の語源ともなった人物で、一介の商人だったところから一代て大国”秦”の王族を除く頂点 相国という地位まで昇りつめた史実においても有名な人物です。

呂不韋が大成したきっかけは、嬴政の父を援助したことでした。キングダムは嬴政が即位してからの物語のため、呂不韋の成り上がりの場面は描かれておらず、既に秦国の政治において勢力を2分する文官として登場します。

そんな秦国の重鎮、呂不韋のプロフィールは次の通りです。

呂不韋(りょ ふい)のプロフィール

年齢年齢不明(史実でも生年が不明)
出身地韓もしくは衛(史記と戦国策で出生地の記述が違う。現在の河南省周辺の生まれ)
身分丞相(後に空席であった相国に任命される)
所属秦国
金による中華の統治
声優玄田哲章

呂不韋が秦の丞相となるまで

キングダムでは、序盤で嬴政の政敵として描かれる呂不韋。戴冠の儀で決着をつけるまでは、王である嬴政よりも王宮内での権力が強く、政治の中枢に居る文官のほとんどが呂不韋陣営でした。

通常であれば家柄が優れている物しか要職に就けないこの時代で、他国の商人だった呂不韋はどのように立身出世を図ったのでしょうか。

呂不韋の出世物語は、嬴政の父親にあたる荘襄王が趙で人質生活をしていた頃に遡ります。当時の秦王であった昭襄王の孫で、王位継承権を持ちながらも、後見人となるはずの母親が父親からの寵愛を失っていたために王になる可能性が低いといわれいていた荘襄王。人質として趙に送られましたが、その王位継承の可能性が低いことから援助する人もおらず、みすぼらしい身なりで生活をしていました。

この時、荘襄王を見つけて、「奇貨居くべし」と言葉を残したのが、当時商人として諸国を回っていた呂不韋でした。呂不韋は、荘襄王の身の回りの世話や援助をすると申し入れて、生活を豊かにします。その上で、荘襄王には趙の社交界で名前を売るように指示したのち、自身は秦に出向くのです。当時は王位継承を決める際に、王の寵愛を受けている夫人の影響力がとても大きい時代でした。時の秦王、昭襄王は次の王を孝文王に決めていたため、呂不韋が狙ったのは孝文王の次の王位でした。

呂不韋の目論みは、孝文王の寵愛を受けていた華陽夫人の養子として荘襄王を推薦し、華陽夫人から孝文王に世継ぎとして推薦させるという物でした。孝文王の寵愛を受けながらもなかなか自身が子供を身籠らなかった華陽夫人はこの提案を承諾。無事、孝文王が死んだ後に荘襄王が秦王に即位し、功績を認められた呂不韋は丞相に任命されたのでした。

呂不韋のすごさが伝わるエピソード

丞相になるまでのエピソードが既にすごい呂不韋ですが、丞相としての逸話も非常に優れた手腕が垣間見えます。

私財が国家予算級!?

呂不韋の財力が見受けられるシーンがキングダム367話で披露されます。合従軍を退けた後、救国の功労者である嬴政陣営がにわかに勢力を伸ばし始めました。焦る呂不韋陣営の文官たち、一方で呂不韋自身は劣勢を気に留めていない様子でした。

呂不韋の様子に異変を感じ、陣営の敗北を予期したのが右腕である李斯。自分が何とかしなければと責任を感じる李斯のもとに、呂不韋の別荘で大変な事が起きていると報告が入ります。

呂不韋の別荘に向かった李斯が見たものは、美女と国内外の権力者が巨大な風呂で戯れ、象や南国の珍しい鳥がそこかしこに居るような怪宴でした。合従軍という中華全土を巻き込んだ大戦争の後、標的となった秦はもちろん、攻撃側で参加した国も金銭的に大きく疲弊していました。

そんな中で、酒池肉林を体現したような大宴会を催して居たのは、恐らく呂不韋ぐらいの物でしょう。時勢におぐわぬ宴会に驚いた李斯は、呂不韋に「もしや国のお金を使ったのですか?」と問いかけます。

対する呂不韋の言葉が「わし個人の蔵を少し開いてやっただけ」との事。李斯が国の予算を使わないとできないだろうと見積もるような宴会を、個人の資産のほんの一部で成し遂げてしまう呂不韋の非凡さが際立ったシーンでしたね。

金による中華の統治

呂不韋は、嬴政と雌雄を決する際に嬴政の武力に夜中華統一の目標に対して、自身の金による中華の統一を語ります。

呂不韋に全てを任せれば、10年で秦を中華史上最も富に満ちた国に成長させることができる。富をつかんだ秦国を使って金をばらまき、諸国も共に経済圏を築くように仕向ける。秦を中心とした経済を回すことで、秦が無くては経済が回らないような中華を築き、実質的な中華の統治を果たすというのが呂不韋の夢でした。

相対する嬴政の語る、武力による中華統一を聞いた際は、「武力による統一を果たした後、そこに残るのは6つの敗北国である。人の世から戦は無くならない、なぜなら行商人として数々の戦を見てきたが、大儀、私欲、復習、出世、富、どれも人間の持つ感情として正しい思いであり、誰もがその思いを持って戦っている。正しい感情を持って戦っているのが戦なら、なくなるわけない」と斬り捨てます。

結果的に、威陽の占領に失敗した呂不韋は権力争いに敗れますが、呂不韋勝利していれば本当に実現していてもおかしくなさそうですよね。

その後、自分の領土にひきこもるよう指示された呂不韋でしたが、その権威から挨拶に訪れる客は絶えず、力をつけて謀反されると困るという宮中の意見が大きくなります。嬴政は自分の目で確かめるために直接呂不韋の城へ赴き、加冠の儀以来の対談が行われます。

この時の呂不韋は反乱の気持ちなど毛頭なく、勝手に嬴政に恨みを持つ物が集まってきている状態でした。中華統一に向けて大きく前進している嬴政に対して、「自分の元にはこのようにあなたに反目する人が集まってきている。優しさは大王の武器で有り、先々唯一の弱点となりえる。」と言葉を残し、自殺を装って表舞台から姿を消します。

嬴政と同じ高みから物事を考える事の出来る中華でも数少ない傑物の一人。それが呂不韋という歴史に名を刻む文官でした。

史実における呂不韋

一字千金

現在でも立派な文章を指す言葉として使われる一字千金という言葉ですが、これも呂不韋の行動を語源とする言葉です。呂不韋は、世の中の全ての事をまとめた書物を作ろうと画策し、高名な先生を集めて『呂氏春秋』という書物を作らせました。

より完成度の高い書物を作りたかった呂不韋は、作製した『呂氏春秋』の全文を道に貼り出し、1字でも書き加えたり減らしたり出来たものには千金を与えるという張り紙を付け加えました。

この派手なエピソードから一字千金を言う言葉が生まれたんですね。当時の呂不韋の財力や牽制がいかにすごかったかが伝わってくるエピソードです。

史実の呂不韋は?

史実で語り継がれる呂不韋も相当な財力を持っており、食客3000人、召使の総数は10000人を超えたと言われています。あまりにも史実でも露出が多すぎる人物のため、キングダムにおいてもほとんど史実を踏襲する動きをする呂不韋ですが、最後に自殺したのではなく影武者をたてて市井に身を落としたシーンは、少しだけ作者の愛情が垣間見えた場面でしたね。

実は嬴政の父親出会ったという説もある呂不韋。真実を知るのは呂不韋と嬴政の母親本人のみなので、今後定説が浮上する事はなさそうです。

キングダムでは、名シーンを残して表舞台から退場した呂不韋。史実では邯鄲を攻める前に自殺している人物なので、今後本編で描かれることは恐らくない人物です。しかし、その強大な財力によって、中華の戦国時代を彩り、キングダムという作品の魅力を一層盛り立てた呂不韋というキャラクターは無くてはならないキャラクターでした。

キングダム キャラ解説(ネタバレ注意)

嬴政陣営

嬴政

成蟜

昌文君
飛信隊


河了貂

羌瘣
呂不韋陣営

呂不韋

昌平君

蒙武
秦軍

麃公

蒙驁

張唐

王騎


王翦

桓騎

王賁

蒙恬

楊端和

呉鳳明